『現代語訳 義経記』 高木卓 河出文庫

 「せっかく大河やってるんだから義経記でも読もうかな、でも古文読めねえよ、チッキショウ」ということで現代語訳のやつを読んでみた。この河出文庫のは訳が平易で非常にとっつきやすい。最近視力が落ちてきているので、文字が大きいのもありがたい。ただ頁数が多くて持ちにくいので上下巻に分冊して欲しかったかな。
 さて、この義経記では義経の合戦シーンなどほとんど無い。一応、序盤に盗賊退治や弁慶との一騎打ちはあるのだが、彼の活躍のメインとなるはずの平家との合戦場面など“義経は、寿永三年に京都へいって、都から平家を追いはらったが、まず、一ノ谷、その翌年は屋島、壇ノ浦と、各地で忠節を尽くし、人々に先駆けて力のかぎり戦って、翌年、ついに平家を亡ぼした。”の3、4行程度(本書は文庫とはいえ600頁を越す長編である)と豪快に省略されてしまっている。そこら辺は「平家物語」を読んでねっていう作り手の意見なのだろうけど、どうにも物足りなさを感じてしまう。やはり合戦が無いとスッキリしない。
 そのかわりに本書では義経の逃亡劇に重点を置いている(解説によると)のだが、「義経都落ち」以降の章を読みすすめてみると、確かに義経の逃亡に重点を置かれているのだが、義経の家来にあたる武蔵坊弁慶佐藤忠信、喜三太、それに静御前などに魅せ場をことごとく奪われてしまって、義経があまり目立っていない。
 生まれたばかりの赤子を殺された静御前が鎌倉方に囲まれた四面楚歌の状況に追い込まれながらも、必死に「しづやしづ」と見事な舞を披露しているのに比べ、あるいは佐藤忠信が吉野・京都を転戦して必死に鎌倉の武者どもを陽動している最中に力尽きて、それでも死に場所を求めて、かつて義経が京にいた頃に暮らしていた六条堀川で壮絶な自刃を遂げる(またこの忠信が義朝をかばって死んでしまった義朝の家来・佐渡式部大輔重成とダブって泣けるんだよ)のに比べると、どうしても義経がちゃらんぽらんにみえてしまう。名所だからっていう理由で平泉寺にお参りするのとかやめようよ、義経。逃亡中なんだから自分からピンチを作んなや。尻拭いをする弁慶達が可哀相だろ。
 以前は義経を戦巧者なナイスガイとしてとらえていたのだけど、これを読み終わった直後の印象としては、義経は駄目な子だったなというちょっと嫌な読後感がフツフツと湧いてくるんですが、これを解消するにはどうしたらいいんでしょうか。『平家物語』にでも手をつけようか。