『宮本武蔵(八)』 吉川英治 吉川英治歴史時代文庫

 愛刀・物干竿を高々と掲げる佐々木小次郎。それに対峙するは撲殺バットを隠し持つ宮本武蔵。小次郎が得意気に武蔵の鉢巻を切り捨てた刹那には、武蔵の持つ撲殺バットは既に小次郎の脳天に振り下ろされていた…。吉川英治を代表する長編小説・『宮本武蔵』は小次郎と武蔵との決闘で静かにその幕を閉じる。


 やっぱり武蔵よりも小次郎の方がいい。島に行くまでに身内や知人からもらった様々な必勝祈願のお守りを全て海に捨てて、「さっぱりした」と言い切る姿が非常に清々しい。
 代表作の『新・平家物語(全16巻)』『三国志(全8巻)』といい、吉川英治は元来長編作家なのだが、活躍の場が新聞小説だったため、短編小説の呼吸という物もキチンと心得ている。今巻に収録されている巌流島での決闘を描いた『魚歌水心』を読むと、改めてそのことを認識させられる。物凄いクオリティ。こういうのを読むと日本人で良かったと思う。何となく。
 小説を読んでいる時にその場面をイメージする際は、大概白黒の画面で、そこに色彩は付いていないのだが、吉川英治の作品の場合は違う。特に今回の巌流島での決闘場面はそうだった。武蔵と小次郎との決闘が、モノクロではなく鮮明なカラーで頭の中に浮かんでくる。今回は波の音まで聞こえてきてしまう。実際にはそんなもん聞こえないやしないのだが、一瞬そんな錯覚に囚われてしまう。本当に得難い作家だ。
 吉川英治の作品で、最もいいラストは『新・平家物語』だと思っていたが、こっちもいいね。『誰か知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを。』思わず口ずさみたくなってしまう。