『吸血鬼伝承 生ける死体の民俗学』 平賀英一郎著 中公新書

 マウスをイジイジクリクリしていたらまたもや太陽が昇る時間までPCで遊んでしまったこんな生活をいつまでも続けていたらいかんわなとも思うんだがでも大丈夫カーテンを閉め切っていれば恐ろしい天照大神の紫外線なんかは怖くないよいかんいかんちょいと取り乱しているネ心を落ちつけるために般若心経でも唱えてそろそろ寝なさいなというわけで前フリとは特に関係ないけど(あ、太陽光線を忌避する人間のことを書いているから少しは関係あるかも)今日は吸血鬼の本の話。
 で、なんでいきなり吸血鬼の話かというと最近笠井潔の『ヴァンパイヤー戦争』にハマっているから、というわけではなく(そもそも笠井潔の『ヴァンパイヤー戦争』は吸血鬼関連の話は微塵も面白くないし)、先日『ヴァン・ヘルシング』とかいう映画を見たから。ちなみに『ヴァン・ヘルシング』という映画はドラキュラ伯爵とフランケンシュタインのモンスターとジーキル博士(あの博士なんでパリにおったん?)を退治しようとするヘルシング教授を描いた娯楽大作。吸血鬼の使い魔である蝙蝠たちが殺されるシーンでのブチプチいう効果音が非常に気持ち良かったのを覚えている。ただ「○○先生の次回作にご期待ください」といわんばかりのラストにはあまり関心できなかったが。
 そろそろ本題に入ろう。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』以降に派生したポピュラリティある吸血鬼(美女の血を吸う、棺で眠る、鏡に映らない等)を語るのではなく、そのような吸血鬼像が出来上がる以前に民衆に恐れられ(あるいは親しまれていた)世界各国に散らばる(東欧がメイン)吸血鬼伝説を取り集め、そこから何かを導き出そうという大変アグレッシブな試みを本書は目指している。当然本書で扱われる吸血鬼達はハリウッド映画に馴染んでいる日本人が持っている吸血鬼観とはかなり異なる側面をみせる(曰く十字架を恐れない、使い魔を使役しない、血を吸わないetc)。この場合の吸血鬼像とは、正装し仮面舞踏会で踊る長身の男というよりも、南米のゾンビの様な腐臭のする汚らわしい物体(生ける死体)というイメージを持った方が理解しやすい(ようだ)。
 本書で興味深いのは発生の期限的には西欧も東欧もほぼ同程度の古さを持つと推定される吸血鬼伝説が何故西欧では廃れ、東欧では盛り上がったのか、その理由である。著者はその理由の一つとして、12世紀以降に西欧で発達した「煉獄」という価値観を挙げる。この善者でも悪者でもない普通の人々が罪を清められるために赴く煉獄があるために、「吸血鬼=生ける死体」は煉獄から彷徨い出てくる亡霊として解釈されるようになり、西欧では吸血鬼伝承が廃れてしまう。その一方、カトリックよりも正教が盛んで煉獄という価値観が採用されなかった東欧では、その後も吸血鬼伝承が生き続けたと著者は説くのだ。故にこのカトリック(≒煉獄)の権威が徐々に失墜していった17、8世紀以降、西欧で吸血鬼伝承が復活していったのかもしれないとも。
 といわけでこの本は様々な文献から集めた東欧の吸血鬼話を紹介することに徹している、それも扱う人が少なそうなブラム・ストーカー以前の伝承がメインだ。なので吸血鬼そのものに興味がある人を対象としたのではなく、そういった伝承が育つ背景を知りたいという人を対象としているんじゃないだろうか。間違っても耳の尖がった伯爵様の活躍が読みたいなと思って手をだしては駄目だ。